紅葉は眺めるものなのに。なぜ紅葉「狩り」というの?
「紅葉狩り」とは、赤や黄色に色づいた紅葉を見物する行楽のこと。
「狩り」をするわけではないですよね。
なのになぜ「狩り」というのでしょう?
桜の「お花見」は、まさに桜の花を見るわけで、そのとうりだと思うのですが、
紅葉の場合はどうして、「紅葉見」じゃなくて「紅葉狩り」なのでしょうか?
疑問に感じたので、「紅葉狩り」と言う、その理由を調べました。
なぜ紅葉「狩り」というの?
「紅葉狩り」の「狩り」は、狩猟の意の「狩り」ではないのです。
「狩り」という言葉には「草花を眺めること」の意味もあるのです。
[note]「狩り」という言葉を辞書で調べると、
●国語辞典には、通常の「狩り」の意の他に
山野で植物を観賞・採集すること。「まつたけ―」「もみじ―」
と載っています。
●学研全訳古語辞典には、
かり 【狩り】
①狩猟(しゅりよう)。多く「鷹狩(たかが)り」をいう。・「猟り」とも書く。
②花・木・草・蛍などを求めてとったり、観賞したりすること。・桜・紅葉・蛍などの語の下に濁音化して接尾語的に用いる。「桜がり」
とあります。[/note]
古語辞典の「狩り」の意味には、なるほど~です。
紅葉狩りだけでなく、桜狩りもいう言い方もあるんですね。
それに「蛍狩り」も…。
蛍狩りも蛍の光を眺めるだけで、捕ったり(狩り)はしないのですが、それでもあまり抵抗を感じなかったのは、蛍が生き物だからでしょうか。
「紅葉狩り」の対象は植物なので、「狩る…?」と感じるのかもしれませんね。
さらに言えば「きのこ狩り」は植物だけど、採取が目的だから違和感はなかったような…。
けどよく考えると、通常使う「狩り」とは違いますし、きのこって「愛でる」というわけではないと思うし…微妙な感じかも。
紅葉狩りの始まりは、平安時代の貴族が紅葉を眺めながら宴を開いて、和歌を詠んだのが始まりとされていますが、平安時代には、実際に、紅葉した枝を折り(狩り)、手のひらにのせて鑑賞する、という鑑賞方法もあったそうです。
江戸時代には、紅葉狩りの風習は庶民の間にも広がりました。
紅葉狩りのシーズンは、10月の中旬から11月下旬頃まで。
花の少なくなる季節に、目の覚めるような美しい「朱色」「紅」「黄金色」~錦秋~を楽しむ紅葉狩りは、季節のうつろい感や自然の豊かさを感じさせてくれる、美しい風習ですね。
なお、「紅葉狩り」の場合の「紅葉~もみじ」は、紅葉・黄葉する植物全体を指して「もみじ」と言うそうです。
●京都名所 紅葉
紅葉の京都名所を一巡り。肩の力が抜けてほ~っとする美しさです。
清水寺、金閣寺…しか名所を言えない管理人。。でした。